summersunday’s blog

忘れてしまいたいことや どうしようもない悲しさに 包まれたときに男は ブログを書くのです

【小説】短編1話読み切り。「役員の苦悩」

古参の社員が入れてくれるコーヒーで一日が始まる。定年退職の年齢が過ぎ、同期はすべて会社からいなくなった。サラリーマンとしての醍醐味はすべて味わったのだろうか。役員の私まで回ってくる報告はほとんどが事後報告の場合が多い。ずっと営業畑だった。課長になるために一度大阪へ転勤をした。実家が関西にあったため、特に抵抗なく異動を決めた。家族も付いてきてくれた。年頃の娘は転勤がきっかけで大人しい性格になってしまったが、致し方ない。不自由ない生活はさせてきたつもりだ。30を超えるにも関わらず、結婚をしていないのが気にかかるが、それもいずれ解決するだろう。関西出身のためか、話が面白いと言われることが多かった。営業でも一生懸命に話を盛り上げたし、お客さんと会話することが楽しかった。営業は天職だったのだろう。東京に営業部長として帰ってきたときには、会社は見違えるほど大きくなっていた。

 

私が入社したときは、誰もが見ても町工場でしかない会社だった。営業活動は社長と出資会社の社員がやってくれた。その事務処理役、いわゆるお客さんからの御用聞きとして雇われた。いつのまにか部下が増えた。それでも、役職が付くのは決まって出資してくれている親会社からの出向者だった。言ってしまえば、どちらも有能な人材ではないのだ。出向者は本体から追い出された厄介者。うちに入社してくる人物は、どこのモノ好きか知らぬが、おそらくほかにどこからも内定が出なかった人物なのだろうと思う。それでも自分の力で成長する意欲がある人物がいる。私はそういうストイックな人物に積極的に話をした。できるかぎり一緒に過ごし、せめて自分と同じくらい仕事が好きになってほしいと願った。初めて子会社入社の人物を課長職に上げた。役員になって3年目だろうか。

 

社内では、どうせ役職は親会社から出向してきた人がなるんだろう、出世なんて目指すより、できるかぎり楽して稼ごう、という風潮が漂っていた。もちろん時代が変わってきたとはいえ、サラリーマンにとって出世というのは何よりも代えがたいモチベーションなのだ。課長職に上げた人物の働きはめざましいものだった。誰より早く出社し、誰より遅く帰る、それくらい仕事にのめり込んでいた。しかし役員として冷静に見ると色々なことが見えてくる。部長は親会社からの出向者だ。おそらく数年してからはうちの会社の様々な部署を横すべりしながら、しぶとく定年まで居続けるしかなくなるだろう。能力的には、まだまた部長には遠い。部下の姿勢を見てもわかる。私には見せないところで、激しい叱責をしているのではないだろうか。彼の出す報告書は逸品だ。しかし部下の育成という観点で、彼は管理職とは呼べないだろう。まずコミュニケーションが取れていないのだ。

 

ここ1年くらいは忙しさにかまけて、その場しのぎの営業活動ばかりしている。このままではジリ貧だろう。メスを入れたいが、私が直接営業マンに指導をすることは社長から止められている。そう思っていたある日、ひいきにしてもらっているユーザーからの追加受注が無くなったという報告が営業マンから直接メールされてきた。以前確認した報告では順調に話が進んでおり、少なくても500万の売上、多ければ2000万程度が見込めると聞いていた。それが全失注だとのこと。課長、部長を呼びつけて説明をさせた。部長は責任回避の言葉を並べたてる。サラリーマンとしての一級品なのだろう。課長は自分に責任があることを認めているが、まるで能力が伴っていないのだ。

 

役員になってから人事面接にも関われるようになった。自分が気に入れば即決もできる状態だ。ついこないだ入社した人物は非常に自分のバックグラウンドと似た経歴の持ち主だ。彼が自分の手で成長させられないのは辛いが、アクシデントさえなければ自分で成長できる人物だろうと踏んだ。一度は名古屋でじっくりと成長してもらうことも望んだが、東京で一気に成長してもらうことにした。本社にいたほうが、同僚も多く、お客さんも多様で刺激的だ。心配なのは、あれだけ優秀な分、他の転職先が見つかってしまうことではなかろうか。うちの給料は同世代平均程度だ。能力のある人物ならプラス100万円くらいの求人を見つけてきてもおかしくない。人事と相談し、給料を上げられないかと提案したが、規定上できぬようだ。会社の将来を憂いつつ、自分の引き際を決めきれぬままあと数年は居座ろうと決めた。

 

 

役員になれる人の「日経新聞」読み方の流儀 (Asuka business & language book)